琥珀のお話
琥珀の歴史から世界の琥珀の話など、琥珀についての話をご紹介します。
太古からの美しいタイムカプセル「琥珀」の魅力を再発見してください。琥珀のお話
琥珀とは
世界最古の琥珀は、約3億年前のもので、イギリスのノーサンバーランドや、シベリアで発見されています。琥珀とは、数千万年~数億年前、地上に繁茂していた樹木の樹脂が土砂などに埋もれ化石化したもので、いわば「樹脂の化石」。久慈の琥珀は、約9,000万年前のもので、南洋スギ(学名アラウカリア)が起源樹種と考えられており、商業価値として用いられている最も古いものなのです。
宝石といえば、真珠、珊瑚、べっ甲など、一部が動物に属するほかはほとんどが鉱物で、琥珀のように植物に属するものは極めて珍しいもの。そのため、生成の過程で古代の昆虫、葉、花、樹の皮などが自然に入りこんだ石もあり、これは、大変希少性を持ち、学術的にも価値があります。色も、黄、茶、赤、白、青、緑、黒など極めて多彩で約250色あると言われています。
琥珀のもとになった樹木ですが、“樹脂”というと、“松ヤニ”を連想します。しかし、実際に琥珀のもとになった樹木は広葉樹から針葉樹までさまざまです。
時代によっても、もとになった樹木の種類は異なり、現生の樹種もあれば、絶滅した樹種もあります。また、産地によって琥珀の色には多少の特徴が見られます。
琥珀の歴史
旧石器時代
日本の先史時代において最も古く琥珀が登場するのは、旧石器時代(先土器時代)のことです。1998年、北海道千歳市に所在する「柏台遺跡」から約2万年前の琥珀製小玉が出土しました。ヒモを通す為の穴があいており、世界最古級の琥珀製品として注目されます。
縄文時代
特に関東地方、東北地方東部、北海道地方など琥珀産地を中心とした地域に点在する遺跡からは琥珀が数多く出土しており、この頃既に琥珀の流通・交易が拡大し始め、各地で装飾品として加工され出していることが分かります。
古墳時代
特に現在の奈良盆地周辺に点在する有力者たちの古墳から琥珀製の勾玉・夷玉・丸玉などの出土が多く見られます。近年、これら出土琥珀の原産地が科学的に分析され、この多くが久慈地方産であることが解明され、当時の琥珀流通交易の道”アンバー・ルート”の解明が待たれています。
室町時代
この頃から現在の岩手県久慈地方での琥珀採掘が産業化されはじめ、当時の江戸、京都では需要が高まりつつありました。
江戸時代
初期から南部藩の特産品として藩の管理品目に定められ、各地で大掛かりな琥珀採掘が行われるようになり、南部藩の貴重な財源となっていました。 採掘された琥珀の大半は江戸や京都に輸出され、良品は細工物として名声を上げたほか、お香、線香、塗料、医薬品などにも多くが用いられていました。 また当時、当地方では琥珀のことを”くんのこ(薫陸香)”と呼んでいました。
明治・大正
工業的な需要として船舶等のサビ止め塗料などにも用いられるようになりました。
昭和
戦時中の昭和10年代には軍事物資として大量に採掘され、レーダーの絶縁体開発をはじめ、軍艦の塗料にも用いられました。また久慈地方では、燃やして“蚊いぶし”(蚊取り線香の代用品)としても利用されたようです。
平成~現在
主にアクセサリー等の宝飾品や工芸品などとして愛用されています。
琥珀にまつわるお話
徳川家康と久慈の琥珀
慶弔19年(1614年)大阪の陣の際、南部利直も参陣しているが、同年12月14日、徳川家康の本陣に参上、国産の薫陸を献上した事が「聞老遣事」に次のように期してあります。
14日大業・広記、今夜南部利直御前ニ出テ薫陸ヲ献ス、是南部領内栗ノ木林ノ内ヨリ出ト云。安藤帯刀与安法師之ヲ披露ス、是は当時日本ノ薫陸ハ何レノ地ヨリ出や否ヲ御尋アリ、日本ノ薫陸ハ琥珀ト同シテ、西土ノ薫陸ハ即チ乱香ナリ、本草綱目ニ所見セリ、日本ノ薫陸ハ極上ノ琥珀也ト云。
※『聞老遣事』は文政5年(1822)盛岡藩士梅内祐訓の著。
ヨーロッパと琥珀
ヨーロッパと琥珀の関わりは古く、約1.5万年前、デンマークの遊牧民族が装身具・護符などに利用しはじめました。琥珀は、18世紀前半まで、海の産物と信じられ、18世紀後半から陸でも採掘されるようになりました。当時、琥珀は北方の金といわれ、同じ重さの金と琥珀が交換され、また小さな琥珀の細工物1つと、健康な奴隷1人が交換されたほど高価なものでした。
琥珀婚
英国では結婚10年目に夫から妻へ琥珀を贈る習慣があります。琥珀の神秘な輝きは、ヨーロッパでは幸福を招くものと信じられ、琥珀を贈ると、“幸せを贈る”という意味をもって積年の愛の花が開くとされています。
琥珀抄
海の神”ネプチューン(ポセイドン)”の娘は、若い猟師と恋におちた。二人の仲を怒ったネプチェーンは、若者を海に沈めてしまった。それを嘆いた娘の涙は、海に落ちていつしか琥珀となったという。琥珀にまつわる悲しい伝説、乙女の涙、人魚の涙と呼ぶのもこうした物語からきているのでしょうか。
アンバー・ルート ~琥珀の道~
久慈の琥珀は、縄文時代中期また、古墳時代初期には採掘され、古墳時代すでに奈良地方へ運ばれていたことが、遺跡出土品の科学分析で解明されています。室町時代中期頃からすでに産業化され、江戸時代には南部藩の重要な産業のひとつであり、一時 は多くの琥珀細工師が当地で働いていた記録が残されています。古代中央政権と久慈の琥珀の結びつきは、大和政権が北上してきたときが始まりで、琥珀出土の遺跡を結ぶことにより、次の様なルートが推定されています。
久慈 ~ 軽米、馬淵川流域 ~ 北上川沿いに南下 ~ 仙台平野 ~ 阿武隈川沿いに遡子 ~ 郡山盆地 ~ 那珂川流域 ~ 栃木県 ~ 前橋市付近 ~ 礁氷峠 ~ 上田市付近 ~ 塩尻市 ~ 木曾屋 ~ 神坂峠 ~ 瑞浪市 ~ 関ケ原 ~ 近江 ~ 奈良
これはおよそ東山道にあたるものであり、当時は装身具や仏具または器物等の飾りとして用いられたと思われます。古代中国の正史である「旧唐書」の645年の頃に、日本の遣唐使が一斗の琥珀を献上したことが記されています。このロマンを秘めた、はるかな琥珀の旅、それが琥珀の道「アンバー・ルート」です別に「アンバー・ロード」ともいいます。
琥珀の産地
久慈地方産の琥珀
樹種:アラウカリア(南洋杉)の仲間
スギ科針葉樹・現生種あり
白亜紀後期 約8,500~9,000万年前
南米熱帯地方に現生種あり。色彩は、赤みを帯びた茶褐色、縞目模様、黒色などが多い。
バルト海沿岸地方産の琥珀
樹種:パイナス・スッシニフェラの仲間?
マツ科針葉樹・絶滅種
古第三紀新世後期 約4,000万年前
近年アラウカリア起源説が有力視されている。
色の特徴は、ビール色、乳黄色、白色などが多い。
撫順(中国)地方産の琥珀
樹種:メタセコイアの仲間
スギ科針葉樹・現生種あり
古第三紀始新世後期 約4,000万年前
生きた化石と呼ばれ、現生種が中国にある。
色彩は、赤味を帯び濃褐色などが多い。
ドミニカ共和国産の琥珀
樹種:ヒメナエアの仲間
マメ科広葉樹・現生種あり。
古第三紀斬新世 約2,400~3,800万年前
中米熱帯地方などに現生種がある。色彩は、淡いアメ色などが多い。 年代が若く熱帯林に起源することから、虫入り琥珀が多い。
※最近主体ではないものの、この他にも琥珀の様々な起源樹種が報告されています。
名称の由来
≪中国語:琥珀≫
「虎死して、則ち精魂地に入りて石と為る」それすなわち琥珀なり。と古代中国の書物にあり、の玉に似ているところから玉偏を加えたと記されています。
≪英語:Amber(アンバー)≫
古代アラビア語アンバール「海に漂うもの」に派生したと考えられます。 これは、琥珀が嵐のあと海から打ち上げられた宝石であったことに由来すると考えられています。
琥珀とCopal(コーパル)
約3億年もの歴史をもつ琥珀には、自然の神秘を感じさせる様々な色彩があり、約250色に分類されています。色彩の豊富さは他に匹敵する宝石がないほど。大きく分けて真性の”琥珀”と半化石状態の”Copal(コーパル)”に分類されています。
琥珀
太古樹木の樹脂が、地中に埋もれて化石化(高分子化合物化)して出来たもの。樹脂の化石化には数百万年あまりの年月が必要と考えられ、宝飾用に用いられる上質な琥珀は、大抵は数千万年以上前のものです。
Copal(コーパル)
現代から数百万年前位までの半化石状態の樹脂を指し、物理的に不安定で、熱に対しては用意に溶解する。かつてコーパルは”ワニス”や”ラッカー”の原料として大量に採掘され用いられました。
琥珀の産地
琥珀原石 世界最大の琥珀産地としては、旧東プロシヤに相当するバルト海沿岸、ポーランドのダグニスク、リトアニア、デンマーク、ドイツが有名です。ほか採掘産地としては、ドミニカ共和国やメキシコ、そして日本の岩手県久慈市があげられます。岩手県久慈地方産の琥珀は、中生代白亜紀後期(約9000万年前)、恐竜時代に属する久慈層群から採掘され同時代の虫入り琥珀も多数発見され、学術的に各方面から注目されています。
古代の琥珀貿易
琥珀の交易と言えば、古代ヨーロッパの“アンバー・ルート”が最も有名です。この“アンバー・ルート”は、紀元前2千年代の初め頃が始まりと言われ、以来、古代のフェニキア・ギリシャ・ローマの商人達は、陸路や海路を通じて青銅器時代の地中海諸国に盛んに琥珀を運び、新石器時代のバルト海沿岸地方には金属製品などを運んで通商貿易をすることによって発達した交易の路でした。当時、バルト海沿岸地方産の琥珀は、その美しさから“北方の金”とも呼ばれ、金と同重量の琥珀とが交換され、特に透明で赤色を帯びた琥珀では、この細工物1個と健康な奴隷1人が交換されました。琥珀は、贅沢な装飾品のほかに、安産のお守りや、病・厄除けとしても貴婦人や子供達が身に着けました。また、塗料はじめ、神経痛やリューマチなど多くの病気の妙薬としても用いられていました。
また、ヨーロッパには琥珀にまつわる以下のような伝説や神話があります。
“人魚の涙” 海に漂う琥珀に由来する伝説では、海洋神ポセイドンの末娘である人魚姫が、王子との悲恋に嘆いて流した涙が固まり琥珀になった。
“太陽の石” ギリシャ神話の一説によると、太陽神の息子パエートンは、父の忠告も聞かずに無理に“太陽の馬車”に乗って天まで駆け登って暴走し、大地は火に包まれた。暴走を見かねた全知全能の神ゼウスはパエートンに雷霆を投げて打ち落とし、パエートンはエーリダノス川の河口付近に落ちて死んだ。この死を悲しんで姉妹が流した涙が固まって琥珀となり、姉妹はその場を立ち去れないままポプラの木になった。
日本
日本における琥珀交易の始まりは、縄文時代に遡ることが各地遺跡からの琥珀製玉類の出土で確認されます。また、この出土遺跡が岩手県久慈地方及び千葉県銚子地方の2つの琥珀産地を中心とする東北地方及び関東地方のそれぞれの地域に集中しているのが特徴的です。古墳時代に入ると、琥珀製玉類の出土遺跡は、奈良県を中心とする近畿地方に集中しており、有力者達の古墳からは、勾玉・なつめ玉・丸玉などが多く出土しています。近年、出土琥珀の産地が科学的に分析され、この出土琥珀の多くは久慈地方産であることが報告されて、日本における古代の“アンバー・ルート”は、古墳時代に遡ることが解明されました。 当時、大和朝廷は軍事力だけで無く、多くの“まつりごと”を行いながら権力拡大を図り、仏教の普及にも努めています。
古代中国の仏教の中で、琥珀は“仏教の七宝”にも数えられ、珍玉として珍重されており、当時の日本においても琥珀の需要が拡大していたものと推測されます。
古代中国の正史(歴史書)“旧唐書”には、以下のような記述がみられます。(“琥珀”の文字が記されたものとしても最古級の書物です。)
埴輪 永徽五年(654)
「十二月発丑、倭国献琥珀、碼碯、琥珀大如斗、碼碯大五斗器。」
日本書紀には同年、遣唐使をつかわしたことは記していますが、貢物は記されていません。しかし、当時、琥珀が貢物にする程に貴重であったことやの、献上された琥珀の大きさが一斗(約1.8リットル)としていることなど、この琥珀産地がどこなのか実に興味深いことです。もしかすると日本の“アンバー・ルート”は、中国まで続いていたのかも知れません。虫入り琥珀という小宇宙は、私達に時空を超越して太古の世界を彷彿とさせる“悠久の時を秘めた珠玉”と言えます。それは、自然界の偶然と摂理がもたらした“地球からの贈り物”とも呼べるものなのです。
琥珀製「枕」
奈良県・竜田御坊山古墳群第3号墳出土(復元再現品)
聖徳太子第2王子の墳墓と考えられている
(7世紀前半末)科学分析により久慈産琥珀と判明
琥珀製「勾玉」
滋賀県・瓢簟山古墳出土や島根県・奥才古墳34号墳出土をモデルに製作(4世紀末~5世紀初め)後者は科学分析により久慈産琥珀と判明
琥珀と賢治
宮沢賢治も愛した琥珀
宮沢賢治と久慈琥珀
賢治が幼い時に見た琥珀の暖かく穏やかな色が忘れられず、賢治は段々と明るくなり暖かくなってゆく夜明けの空を言葉で描くのに、いつも琥珀を用いています。彼の残した作品の中には30数ヶ所の”琥珀”の文字が登場しており、琥珀をこよなく愛しつづけました。
宮沢賢治は岩手県出身の文学者であり、童話など多くの作品をこの世に残しました。しかし、生前自費出版された童話集「注文の多い料理店」や、詩集「春と修羅」は全く売れず、賢治は農業を通して自分の理想とする世界を探求し、生誕の地、岩手県に理想郷「イーハトーブ」を築くことを夢見ていましたが、志半ばで病に倒れ37歳の若さで亡くなり、平成8年8月27日、生誕百年を迎えました。
賢治の死後、賢治文学は世界的に注目されるようになり、世界各地の多くの人々の間で愛読されています。琥珀はその賢治の理想郷「イーハトーブ」の特産品であり、賢治にとってお気に入りの宝石の一つでした。
石っこ賢さんと琥珀
賢治は幼少の頃から大の石好きで、「石っこ賢さん」と家族や知り合いにいわれるほどでした。また、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)で鉱物を専門に学んだこともあり、宝石や鉱物に詳しい知識をもっていました。その影響もあり、賢治文学には多くの宝石が登場します。空や太陽・月・星・海などを様々な宝石にたとえています。それは、宝石の持つきらびやかさというより、自然の作り上げた原石の美しさや、不思議な色合い、原石を磨いたときに耀きだす美しさに、感動したものでした。その宝石の中の一つに琥珀があります。琥珀は賢治文学に多く登場します。琥珀は英語名をアンバー(AMVER)といいます。賢治は文章の中で宝石には通常、英語名のルビをふっています。(金剛石ダイヤモンド・蛋白石オパール・紅玉石ルビー)しかし、琥珀に関しては一度も「アンバー」とルビ(ふりがな)をふっていません。琥珀が岩手県(イーハトープ)の特産品であり、賢治にとって身近なものだったからだと考えられます。
トカゲ雲
賢治は盛岡農学校時代、友人と岩手山に登ったとき、次のような短歌を詠んでいます。
あけがたの 琥珀のそらは 凍りしを
大とかげらの 雲はうかびて
琥珀の中には、太古の世界の虫を封じ込めたものがあります。これを一般に虫入り琥珀と呼んでいます。そして、時にはトカゲのような小動物までも閉じ込めてしまう場合があります。鉱物に詳しかった賢治は、トカゲ入り琥珀があったことを知ったのでしょう。その時見た、岩手県の明け方の空の色を琥珀にたとえ、そこに浮かぶ大トカゲ(恐竜)のような雲と、トカゲ入り琥珀を重ね、得意の想像力で太古の世界、白亜紀の恐竜に想いをはせていたものと考えられます。
陽光と琥珀
賢治は琥珀の持つ暖かな感触を、夜明けの朝焼けの空にたとえ次のように表現しています。
もなく東のそらが黄ばらのやうに光り、琥珀いろにかゞやき、黄金に燃えだしました。丘も野原も新しい雪でいっぱいです。
(自費出版された童話集『注文の多い料理店』「水仙月の四日」より)
また、琥珀が樹木の樹脂の化石で、砕けた時、きらめいて見えることを知っていた賢治は、それを太陽の光にたとえています。
正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき
(自費出版された詩集『春と修羅より』)
アイデアマン
賢治は、盛岡高等農林学校時代、鉱物学を専門にし、鉱物の様々な知識を学んだこともあり、一時期本気で宝石商を自分の職業にしようと思い、岩手県等でとれる原石を利用することを考えていました。その中に琥珀原石も含まれており賢治は父宛てに次のような手紙を書いています。
一、飾石宝石原鉱買入及探求。
(之は、報告、その他より鉱物産地を知りて手紙にて買入、または自分にて旅行して買入。
たとえば、花輪の鉱石英、秋田諸鉱山の孔雀石、九戸郡の琥珀、・・・・)
琥珀は、良質のものは、細工等に加工されるのですが、下等なものもかなりあります。
賢治は、そこに目をつけ下等琥珀で、再生品を作ることまで考えていました。同手紙に次のように書かれています。
六、飾石宝石改造。
(黄水晶を黒水晶より造る。瑠璃に縞を入る。真珠の光を失える発せしむ、下等琥珀を良品に変ず等。)・・・・・ (1919年2月2日 賢治 22歳)
これは琥珀を真空状態で溶かし固めた、再生琥珀を考えていたものとみられ、現在製品化されています。このように賢治は時代の先を読むアイデアマンでもありました。賢治の宝石商になりたい夢は父親の反対もあり、結局果たされませんでしたが、宝石に対する鋭い感性や知識は、賢治文学に大きな影響を与えました。その宝石の中の一つとして琥珀は賢治文学の中で暖かい光を放ち続けることでしょう。
虫入り琥珀
虫入り琥珀は貴重な化石
虫入り琥珀という小宇宙は、私達に時空を超越して太古の世界を彷彿とさせる“悠久の時を秘めた珠玉”と言えます。それは、自然界の偶然と摂理がもたらした“地球からの贈り物”とも呼べるものなのです。
虫入り琥珀って何?
琥珀は、もとは太古の樹木が分泌していた“樹脂”
この樹脂が地中深くに埋もれて何千万年も経過すると樹脂は化石に変化します。こうして出来た樹脂の化石のことを私達は“琥珀”と呼び、英語では“Amber”と呼んでいます。樹脂は傷口などからにじみ出して、その傷口を包み込んで“細菌”の侵入を防いで傷口を保護する作用があり、ちょうど人間の血液が傷口で“かさぶた”になるのと同じような働きがあると考えられています。
樹脂に包み込まれ・・・。
もとが流動的な樹脂ですから、周辺に棲んでいた昆虫・動物・植物はじめ水や空気などを包み込んだものがしばしば発見されます。この中で昆虫化石入りの琥珀のことを一般的に“虫入り琥珀”と呼んでいます。琥珀の中の化石は、立体的かつ完全体として保存されている場合が多く、通常に見られる平面的な化石とは異なり、DNAも保存されています。だからこそ“虫入り琥珀”は昆虫や生物の進化はじめ、太古生物の生活環境さらには、当時の地球の様子などを知る手掛かりを与えてくれる極めて学術的価値の高い貴重な化石といえます。
映画「ジュラシックパーク」が現実に?
1993年、映画「ジュラシック・パーク」が公開され、恐竜復活の鍵となっていた“虫入り琥珀”は一躍、一般の関心を集めて話題になりました。実際にも、琥珀の中の昆虫化石からはDNAが検出され、約1億2千万年前で現在最古のDNAも検出されています。
また、最新のニュースによるとアメリカの研究者が琥珀中の昆虫化石の体内に胞子状態で眠っていたバクテリア生物を蘇らせることに成功したことも報じられています。今後、虫入り琥珀の研究が進展すれば、生物の進化をDNAレベルで解明し得る可能性があり、将来は絶滅した生物の復活でさえ可能にするかもしれません。このようなことからも虫入り琥珀は、現代そして未来に及ぶ、実に多くの可能性を秘めた“神秘のタイムカプセル”と呼んでも過言ではないでしょう。
久慈地方産の虫入り琥珀
久慈地方で産出する琥珀は、中生代白亜紀後期(恐竜時代)の約9,000万年前に属するもので、世界的にも古い時代の琥珀と言えます。現在、久慈地方産の虫入り琥珀は約、1,000点余り発見されています。この中には絶減種や新種も多く含まれています。1997年には、世界初の「鳥類の後羽(こうう/羽毛の一種)」化石の発見が全国に報じられて話題になりました。また、この時代の昆虫化石は世界的に少ないことから研究がほとんど進んでいません。従って、久慈地方産の虫入り琥珀はそれぞれの化石また、1産地の一括資料としても大変貴重な化石であり、今後の研究が待たれています。
日本最古の「蛾」
岩手県久慈市小久慈町/久慈層群・下部国丹層産
中生代白亜紀後期/約9,000万年前
※1993年、全国的に話題になった蛾の仲間の化石で、ヒロズコガの一種と同定された。
原直翅目の仲間と卵
岩手県九戸郡野田村/久慈層群・下部国丹層産
中生代白亜紀後期/約9,000万年前
※1985年、久慈地方産の虫入り琥珀として初めて全国的な話題になった化石。その後、ハネナガウンカの一種と同定された。
ダニの仲間
岩手県久慈市宇部町/久慈層群・上部玉川層産
中生代白亜紀後期/約9,000年前
※ダニや蚊などの、吸血性昆虫の化石も発見されている。もしかするとこの体内には・・・?
世界初・最古「鳥類の後羽」
岩手県九戸郡種市町/種市層・有家部層産
中生代白亜紀後期/約9,000年前
※1997年、全国的に話題になった後羽化石で、鳥類の進化を知る極めて重要な発見。
ドミニカ共和国産の虫入り琥珀
トカゲの仲間
ドミニカ共和国産
新生代古第三紀漸新世/約2,400~3,800万年前
※トカゲなどのハ虫類が包み入まれている琥珀は、極めて数少なく、学術的価値も高い。
イトトンボの仲間
バルト海沿岸産
新生代古第三紀始新世後期(約4,500万年前)大型の昆虫が取りこまれた琥珀は大変珍しく、貴重な標本。
ハチ入り
ドミニカ共和国産
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